漆黒のファントム
6、Let Me Let Go
ミナは、病室の窓から外を眺めていた。
その顔は何故か少し緊張気味だ。
「もう、止めましょうよ。やっぱり恥ずかしいです」
ミナはそう切りだした。
その向かいにはスケッチブックを持ってミナを見つめるロウがいた。
「言う事を聞いてくれるっていったじゃない? それに申し出たのは君からだよ」
「それはそうですけど……モデルなんて初めてで」
そう言うミナの頬が赤くなった。
「大丈夫、大丈夫。まるでプロのモデルみたいだ」
「また! そんな事を!」
固くなるミナをときほぐそうするつもりなのかロウは、頻繁に声をかける。
冗談を混ぜるロウの言葉は次第にミナの緊張を和らげていった。
「君はモビルスーツのパイロットだろ? あんなものに乗る人がたかが絵のモデルで緊張するなんて可笑しいよね」
「コクピットの中は集中してるし、する事がいろいろあるものです。けれど、"これ"は違うから」
「一見、パイロットなんて信じられないね。ああ、気を悪くしたらごめんよ。なんというか……」
フォローの言葉を考えていたロウより先にミナが口を挟んだ。
「よく言われます。ハンサカー准尉。"君はなんというかその、軍人らしくない"って」
「やっぱり」
「おまけに"新米のウェイトレス"みたいだって」
「分かる気がする」
「は?」
「い、いや、なんでもない」
ロウは、スケッチブックに目をやる。絵の中のミナの表情は、まだ決まっていなかった。
「で、その新米のウェイトレスに間違えられるハンサカー准尉はなんでモビルスーツのパイロットになったの?」
「別に憧れてた様な仕事でもないんですけど、奨学金が欲しくて」
「奨学金?」
「学校の教師になりたかったんです。でも家にはお金がなくて。おまけに戦争の最中でしょ? 食糧もままならなかったし軍に入ればその2つの問題が解決できた」
そう言うミナの表情が少し暗くなっていた。
思い出したくない事もあるのだろうか? いつものミナにそれを感じさせるものはなかったが、きっと普段は心の奥にしまいこんでいる事なのだろう。
何か関係あるのか分からないが、衝突に際しての彼女の自責は、少し過度ではないかとロウには思えていた。こんなに被害者である自分の見舞いにくるのも随分多い。
人それぞれ地獄が、あるのかもしれないな。彼女は彼女なりの……
ロウは、鉛筆を走らせながらそう思った。
そして、もし自分と接する事で、彼女の地獄を変えていけるのならいくらでも相手をしてやろう、と。
「モビルスーツに乗る事は"上"で決めたことなんです。入隊した全員に適正テストが行われて私はモビルスーツのパイロットが一番合ってるって言われたの」
「それでモビルスーツのパイロットか」
「でも、意外と相性がよかったみたい。それに操縦は楽しかったわ。全長18mの機体が手足の様に動かせるんですよ? もう最高」
ようやくミナの顔がいつもの感じに戻った。そういえば他の軍関係者の誰かが言っていた。彼女は月では最高のパイロットなのだと。だから事故が回避しようのない事だったとも。
単に軍の責任回避にも感じ取れる言葉だと思っていたが、彼女の操縦の腕が良いのはどうやら本当らしい。そう考えると事故はあれで最小限の被害にも思える。生き残ったのは自分ひとりだが。
「あの"白いのアンテナ付き"はどうだい?」
その質問にミナの顔がほころぶ。
「あれは最高の最高。今まで乗っていたRGM-79という機種なんですけど、それががまるでポニーに思えちゃう。今、乗ってるRX-78は、まるでサラブレットなんです」
その時、ミナの顔がはっとした。
「あ、あの……あのモビルスーツのこと、一応、極秘事項なんで聞かなかった事に」
亡霊狩り部隊のRX-78Sは公には公開されてない。部隊自体も存在は公式ではない。連邦軍は、サイド5でジオンの残党が物資輸送船を襲い続けている事実も極力漏れないようにしていた。もし、公表されれば疲弊したサイド・コロニー復興に関わっている民間企業の投資が一気に手を引くからだ。それは様々な問題を引き起こすのは目に見えていた。
「知ってる。だって散々、他の軍の人に念押しさせられたから。何枚も書類のサインもさせられたしね」
ほっとするミナ。
「本当に内緒ですよ」
ミナはそう念押しする。軍の極秘事項を"内緒"だというミナにロウは少し可笑しくなってしまう。
「なんで笑うんですか?」
笑っているのか? 俺が?
ロウはその言葉にはっとした。何故か心の奥からほほ笑む自分を否定しようとする意識が湧きあがった。平穏と激情。そのふたつの相反する感情が心の奥底で渦巻くのがわかる。
何故だ?
ロウは複雑な感情に驚いていた。理由を考えようとしたが思いだせない事が多い。事故のショックなのかもしれないが自分には何か忘れている事があるらしい。
どうやら地獄を抱えているのは俺も同じらしい。
ロウは意識を集中して複雑な心情を抑え込んだ。その後、絵に集中する。
絵の中のミナは、いつのまにかほほ笑んでいる。
それを見てロウは安心感を覚えていた。
* * * *
―― デブリ帯 偽装巡洋艦内 ――
むかしむかし、人間に蜜を取られてしまう事を嫌がったミツバチが神様にお願いしました。
『神様お願いです。せっかく苦労して集めた蜜を取られて困っています。どうか、私に蜜を盗みに来る奴を追い払う武器をくださいませ』
その願いを聞いた神様はミツバチの毒のある針を与えました。ミツバチは与えられた武器に喜びました。
しかし神様は同時にその針を使うと自分も死んでしまうという欠点もお与えになりました。
それ以来、ミツバチが毒針で相手を懲らしめようとすると自分も死んでしまうようになったのです。
格納庫ではゲルググ・シャウッテンが移動されていた。モビルスーツ内の酸素の節約の為、コクピットは開けたままだ。パイロットもヘルメットのシールドを開けていた。モビルスーツの前では無重力空間の中、物資の一部が漂っていた。それを整備兵が捕まえようと追いかけていた。
壁沿いに設置されていたベランダではシャウッテンの発進準備までに仕立てた整備士官が艦内電話を使っていた。
「シャウッテン、射出用意完了。指示を待つ」
指揮室からすぐに答えが来る。
『了解、格納庫。そのまま待機せよ』
「了解」
整備伍長は艦内電話の受話器を置いた。
「ザビーネ少尉! 待機! そのまま待機」
整備伍長が大声で呼びかけたがコクピットのザビーネは何の反応もない。
「おい! 聞こえてるのかよ?」
苛立って声を荒げたが、やはり反応はない。コクピットの傍で様子を見ていた他の整備兵は肩をすくめて見せた。
呼びかけるのを諦めた整備伍長は、直に伝えようとコクピットまでジャンプした。慣性で数秒後にコクピットに辿り着きコクピットの中を覗いた整備士官。だが整備伍長は、ザビーネの様子に戸惑った。
「ザビーネ……?」
操縦桿に手をかけたまま、顔を伏せていたザビーネは何かを呟き続けていた。
「昔々、人間に蜜を取られてしまう事を嫌がったミツバチが神様にお願いしました。神様お願いです。せっかく苦労して集めた蜜を取られて困っています。どうか、私に蜜を盗みに来る奴を追い払う武器をくださいませ。その願いを聞いた神様はミツバチの毒のある針を与えました。ミツバチは与えられた武器に喜びました……」
その話は切れまなく続けられていた。話が終わるとまた始めから語り続ける。まるで神への祈りのようだ。いつものはっきり過ぎるくらいの物言いではない。スタンドプレイヤー的なザビーネを好かない者は多かった。だが軍人としてはともかく戦士としての気迫を整備士官は意外と気に入っていた。今のザビーネの姿は切なく思える。
「ずっと、この調子で」
傍にいた整備兵がうんざりした様子で言う。
「おいおい、なんだよ。こんなんで飛べるのかよ」
「ねえ、伍長。あの噂、本当なんですかね?」
「噂?」
「ザビーネ少尉の左目の事ですよ。少尉が自分でくり抜いりまったって聞いたんですけど、それ本当ですか?」
「誰から聞いた?」
「みんなが言ってますよ」
整備伍長は答えず、コクピットで言葉を繰り返すザビーネの方を見た。
「……しかし同時にその針を使うと自分も死んでしまうという欠点もミツバチにお与えになりました。それ以来、ミツバチが毒針で相手を懲らしめようとすると自分も死んでしまうようになったのです……昔々、人間に蜜を取られてしまう事を嫌がったミツバチが神様にお願いしました……」
ザビーネは言葉を続けた。それはまるで懺悔に言葉にも似ていた。
* * * *
―― コロニー太陽側 ――
爆音と共に突如、ジオン軍の主力モビルスーツだったMS-06が廃工場から姿を現した。
終戦後、多くのMS-06型は連邦軍に接収され運用されていた。付近の住民の多くはそれが連邦軍に接収されたものだと思った。
この騒ぎは連邦軍の起こしたアクシデントであろうと。
だがそれは間違いだった。住民たちは、ザクが105oマシンガンを撃ち始めてようやくそれに気がついた。
巨大な薬きょうが地面に落ちる。
弾丸は付近で駐車していた乗用車に直撃して爆発した。それを合図に住民が一斉に逃げ出し始めた。
それを追うようにMS-06"ザク"はゆっくりと廃工場から移動を始めた。廃工場の外壁が呆気なく崩されていく。
その頃、コロニー内の数か所で同時に爆発が起きていた。
ヴェアヴォルフ部隊(人狼部隊)による陽動作戦が開始されたのだ。
* * * *
その頃、巡洋艦エイプリルを中心とした小規模艦隊はコロニーを発進していた。
向かってくる輸送船団狙う可能性のある"ファントム"に備えての為だ。
先行として十数機の索敵用のボールを先に飛ばしていた。外付けの燃料タンクとブースターを備えた偵察用である。
ミノフスキー粒子の影響が収まらない宙域も多い中、有視界の索敵に頼らざる得ない中、編成した新たな部隊であった。とはいえ巡洋艦とはいうもののエイプリルに収容しきれない数である。その為の母艦となる輸送艦とサラミス級巡洋艦が増援された。
広範囲に展開させたボールたちのどれかはファントムを見つけるかもしれない。そうなればミナたち幽霊狩り部隊の出番だった。とはいえ、目標のファントムが現れるまではパイロットたちの出番はない。
その空いた時間を使ってブリーフィングルームではあるレクチャーが行われる。
「私はニュータイプではありません」
ミナはそう前置きした。
彼女は幽霊狩り部隊の面々と新たに加わったモビルスーツ小隊のパイロットたちを前に説明をしていた。
ミナは前回の戦闘でサイコミュー装置を搭載したモビルスーツとの戦闘を経験していた。
しかも、相手を撃墜寸前まで追い詰めたのだ。そのノウハウを他のパイロットにも伝授しようとするわけだ。
人前で話すのを苦手とするミナにデイモンが無理やり押し付けた仕事だった。
「私もビットとサイコミュシステムについては本を読んだだけで詳しい専門知識があるわけではありません。ですが、あの時、私はある事をイメージしました。それが当たっただけなんです」
席につくパイロットたちの顔は真剣だ。0078の一年戦争時、ソロモン攻略直後にあったサイコミュー搭載兵器の戦果は聞いている。ファントムの一味が同じ兵器を所有している事になればその対応策は知っておきたいのだ。生き残るために。
「遠隔攻撃機……以後ビットと称しますが、ビットはあのとき、常に私の死角を狙ってきました。コントロール機であろう機体は視界に入ってましたから当然私の位置を認識していた筈です。思考を利用して遠隔操作するのであれば、敵は私の機体と位置をイメージしているはずです。その時、思ったんです。私がサイコミュ―を使ったのなら、と」
「具体的にはどういう事ですか?」
メモをとっていたパイロットの一人がそう質問した。
「サイコミュ―システムの詳しい理屈は分かりませんが遠隔攻撃機を動かすのに頭の中で思い描く事を必要とするのなら、まず私の位置をイメージして、ビットの位置をイメージする。そして包囲陣を引くはずだと思ったんです。つまり……」
ミナは開いた両手を覆う様にして見せた。
「私を捕える為に、包み込むような配置をしているはずだと。小さな虫を捕えるようにです。逃がさないようにするには一番それが確立が高いからです。そして敵のパイロットもそれをイメージしてビットを動かしてるのではと思ったんです」
パイロットの中には頷きながらメモを取る者もいた。
「違うのは、虫を捕えるにはその進路を塞ぐ事ですが、私は虫ではありません」
ミナのジョークに軽く笑いが起きる。
「最も死角である背後を狙ってくるはずだと思いました。ですから後は、可能性高い方向へカメラを向けるだけです」
「すぐ見つかるものなんですか?」
「いえ、先ほども言いましたが私はニュータイプではありません。ですからモビルスーツの力を借りました。カメラの解像度いじったんです。こう、残像が残る感じに……」
ミナは後ろのホワイトボードに斜めの線をいくつか書いた。
「残像が過ぎると視界を悪くするし、正確な位置も分からなくなるので通常は触りません。これはギャンブルでしたが今回は当たりました」
ミナは線を一本引くとその線のスタート部分を丸で囲った。
「ビットの攻撃位置が解りました。そして線の残像の位置に規則性を感じたのです。後は、それを予測していけばよかった」
こいつ、簡単に言うものだな。傍で聞いていたデイモンはそう思った。
ある程度見えない兵器の位置を掴む理屈は分かった、だが、同じ事を通常の訓練だけのパイロットにやれと言ってもそう簡単にはできないだろう。高速で行われる戦闘中においては特に。
「繰り返しますが私はニュータイプではありません。その私が一部の高性能装置と注意力で対応できました。連邦軍のモビルスーツ正規パイロットは厳しく高度な訓練を受けました。ですから、みなさんにもきっと対応できます。自信を持って下さい」
ミナは繰り返しそう言った。
一部の者はそれを気休めと、一部の者はそれを糧とした。この事は生存率の僅かな確率を操作し、そこで生死を分けることになるだろう。どうしても避けられない事もあるが、それでも生き残る意思のある者が生存率を上げるのが戦場だ。
「ご苦労さん。よくできたレクチャーだった」
デイモン大尉が講義を終え一息つくミナにそう声をかけた。
「どうも。慣れない事なので上手く話せなくて」
「そうか? 悪くなかったぞ」
「ありがとうございます」
「サイコミュ―兵器の対応は、まだまだ研究段階の分野だ。実態をつかんでいない兵器の対応策を練るのは一苦労だな」
「このレクチャー……少しは役に立つのでしょうか?」
「状況を知ってるだけでも実際、対応した時に少しは落ち着けるってもんだ。お前はサイコミュ・アタックから生き残ってるし、その情報交換をするのは悪い事じゃない。備えがあるとないとでは生き残る確率に格段に差がでるものだ」
「デイモン大尉」
「なんだ?」
「私、この部隊に来て大尉が隊長らしい言葉初めて聞いた」
「そ、そうか? ははは」
こいつ、いままで俺の事をどう見ていたんだ……複雑な気持ちのデイモンだった。
その時、ブリーフィングルームの内線が鳴った。
デイモン大尉がすぐに受話器をとった。
『デイモン大尉?』
「そうだが、どうした?」
『コロニーで同時多発テロです。至急、ブリッジにお上がり下さい』
デイモンの顔つきが変わる。
「了解。すぐいく」
その表情で緊急な事なのは傍にいたミナやハーネットにもわかった。
「ファントムですか?」
ミナが尋ねる。
「よくわからんが、コロニーでテロ攻撃が起こったらしい」
デイモンはまだブリーフィングルームに残っているパイロットたちに向かって呼びかけた。
「よーし、みんな聞いてくれ。ちょっとした緊急事態が起きた。悪いが、このままパイロット諸君はルームで待機していてくれ、状況はすぐ伝える」
デイモンは早口でそう言うとルームから出て行った。部屋がざわめく。
「ファントムですか?」
見慣れないパイロットがミナに尋ねた。直前までデイモンと話していたから何か知ってると思ったのだろう。
「コロニーでテロがあったって」
「本当ですか?」
「詳しい事は聞かなかったけでど。きっと状況はすぐ分かると思います」
他のパイロットたちも今の話を聞きつけブリーフィングルーム内は一気に緊迫した。
ミナとハーネットは顔を見合す。
「ハーネットさん、これ"亡霊"部隊の仕業でしょうか?」
「どうかな。まだ詳しい事もわからないし」
「いままで、コロニーへの直接攻撃はないですよ。全てコロニーへの通商破壊作戦でしたよね」
「方針変更かも。あるいは別のグループか。まあ、今、何をあれこれ言ったって想像でしかないさ。いずれ、状況が分かる。それまで待てばいいさ」
「テロだって? どういうことだ?」
デイモン大尉はエレベーターのドアが開くと開口一番そう言った。
ブリッジでは作戦指揮官であるリケンベ中佐と艦長のライス中佐が打ち合わせをしている最中だった。
「コロニーの何か所かで一斉に爆発があったらしいの。それとモビルスーツが市街地を攻撃してるようだわ」
ライス中佐が言った。
「"亡霊"部隊ですか?」
まずはその質問だ。
「いや、まだわからん。だが密閉空間であるコロニーのモビルスーツの攻撃は危険だが戦力の一部は我々の作戦に合流しているから対抗戦力をあまり残していない。危険な状況であるのは間違いない」
リケンベが腕を組みながらそう言う。
「エイプリルは反転してコロニーに戻る事になるかもしれないですね」
指揮席に座ったままのライス中佐が言った。いつのも緩い顔つきではなく真剣な顔つきだ。
「だが接近中の輸送船団501にも護衛は必要だ。頭が痛いな」
テーブルのスクリーンに輸送船団とコロニー、そして自艦隊の距離関係図が表示される。
「実はコロニーの基地から援護要請があった。基地には現在、モビルスーツに対抗できる装備がほとんどない。そこで我々に助けを求めたわけだ。現在、司令部の承認待ちだ」
「まあ、いいですがね……でも間に合うんですか?」
「分からん。だが相手が"亡霊"部隊だった場合は、覚悟はしておけよ」
「誰に言ってるんです? 亡霊狩り部隊ですよ」
数分後、司令部の承認を受け、巡洋艦エイプリルを中心として小規模艦隊はコロニーに進路を変えていた。
艦隊の動きを密かに追跡していた小型艇は、それを確認する。
「"蛇は巣穴に帰った"。繰り返す"蛇は巣穴に帰った"」
ミノフスキー粒子による雑音を交えながら暗号は繰り返された。
それを合図に暗礁宙域より旧ジオン公国軍巡洋艦ムサイ級の艦隊が姿を現していた。
「作戦開始だ。上手くやれよ!」
ムサイ級巡洋艦"エムデン"のブリッジでは艦長が檄を飛ばす。
「索敵隊、目標補足」
「よし、進路を合わせろ。前面にカモフラージュ隊を!」
501輸送船団の進路をザクとドムの混成部隊が密かに塞ぐ。モビルシーツは黒く光を反射しない素材で作られた"傘"を全面に広げてカモフラージュしていた。
輸送船団の先導船ではレーダーがミノフスキー粒子で乱れる宙域の中、なにかを拾っている。レーダー担当は説明できる状況ではあったが何か違和感を感じていた。
「前方に複数の障害物あり。正体はレーダーではよく分かりません」
高解像度カメラを使って進路を映すがそれでも何があるのかよく分からなかった。船長は現象の理由を頭にいくつか浮かべていた。
「単にデブリだろう。このあたりは"ルウム戦役"での艦隊戦の残骸が多いからな」
しかし、船長の判断は間違っていた。
エムデンはレーダー探知範囲のぎりぎりの位置に踏みとどまっていた。手持ちのモビルスーツ部隊は輸送船が判断に迷う状態にカモフラージュして発進している。狩りの包囲網は着実に閉じられようとしていた。ムサイの方がミノフスキー粒子下での探知能力は高い。なおかつ、発進されたモビルスーツ部隊が目となり、さらには情報の中継点になっていた。
「ただいま予定ポイントを通過。輸送船団に進路変更の意思なし」
「よし、"猟犬"どもを動かせ。元突撃機動軍の実力を見せてやれ!」
輸送船団の行く手にいる部隊と同じ仕様のカモフラージュを施したMS部隊が船団の後方に位置していた。船団は彼らに気づかず、その横を航行したいたのだ。
生命維持の最小電源でいたモビルスーツに動力が戻る。
「ようやく出番か。酸素がぎりぎりだったからヤキモキしてたぜ」
パイロットが生命維持装置以外の装置を起動させていく。
MS-06ザク部隊がカモフラージュを解き、順にバーニヤを噴射していった。目標は前を行く輸送船団だ。
輸送船団は後方から突然現れたモビルスーツ部隊に慌てふためいた。
「後方からジオン製のモビルスーツ多数接近! ザクです」
浮足立つブリッジに船長が活を入れる。パニックは正しい判断をできなくするからだ。
「この先、護衛艦隊とも合流予定だ。逃げ切るんだ! 全速! とにかく追いつかれるな!」
「ア、アイサー!」
「相手はバーニヤの噴射剤に余裕のないモビルスーツだ。長引かせれば引き返す。落ち着け!」
だが、これは罠だ。
船団のレーダーはやがて待ち構えてたい巡洋艦エムデンの船体を映す。
その時、ようやく輸送船団は自らの運命を自覚するのだった。
サイド5拠点コロニー
コロニーでは重要設備に爆発が起きていた。しかしそれは致命的ではなかった。全て精密な制御爆破だった。
「おもいっきり派手にな。とにかく勘違いさせるんだ」
コロニーの民間の艦船ドッグに係留していた偽装巡洋艦のブリッジでハルダー大佐は言った。
ヘルマンから通信が入る。
「奪還部隊、位置につきました。突撃の許可を願います」
「ヘルマン。この作戦はパウルの奪還の優先順位が上ではない。わかってるな」
「理解しています」
「パウルは兵器として有効ではあるが兵士とは言えん。ザビーネもだ」
「かもしれませんが、私の部下たちです」
「……いいだろう。作戦を開始しろ」
ヘルマンは通信を切った。
「よし、ゴーサインがでた。いくぞ」
病院の救急隊員に変装した部下たちがサブマシンガンの動作確認を始める。
武装したヘルマンたちを乗せた救急車はパウルのいる軍病院に向かった。
病室のパウルは騒がしい様子に気づいて窓の外を見た。
「何が起きてるんだ?」
その時、爆発が起き、衝撃波で窓ガラスが割れる。破片がパウルの頬を裂いた。身を伏せたパウルは爆風が収まった頃、慎重に外の様子を見る。
街には所々から煙が上がっていた。サイレンと一緒に微かに誰かの怒鳴り声や泣き声がどこからか聞こえ来る
パウルは危険を感じ、出口の方へ向かおうとした。
通り過ぎたベッドの上では描きかけのミナの絵が入り込む風に煽られていた。
* * * *
コロニーに近づくと巡洋艦エイプリルからモビルスーツ群が発進した。
「MS-06の暴れているS区画から侵入する。徹甲弾装備だ。各機、距離感を見誤るなよ」
デイモン大尉の駆るガンダム・エプシオン1号機が先行してコロニーに取りつく。その後をミナとハーネットのガンダムが続いた。
コロニーの内部に侵入すると少し離れたところで煙が上がっているのが見える。
ミナがカメラをズームアップすると旧ジオン公国軍のモビルスーツMS-06が映る。
「見つけました、大尉。十時方向にザクが一機」
デイモンとハーネットのガンダムもメインカメラをザクに向けた。
「大尉、俺に任せてくださいよ」
格闘戦の得意なハーネットが申し出た。
「一撃で仕留めてやります」
どうやらハーネットはビームサーベルを抜きたくてウズウズしているようだ。ミナはガンダムのコクピットの中で首を横に振った。
「もう、ハーネットさんったら……」
デイモン大尉も月面の模擬訓練施設でハーネットの腕は見せつけられていた。確かにコロニーの内部で撃ちあうよりは格闘戦で仕留めた方が無難な気はする。
「よし、ハーネット任せたぞ」
「へへ、そうこなくっちゃ」
「ミナ、俺たちはへーネットが接近できるように陽動だ」
「了解」
デイモンのガンダムがバーニヤを噴射して上昇する。狙撃の的になりやすいがシールドで機体をほぼ隠した体勢だ。二、三発の直撃は耐えられるだろう。ミナもそれに倣って自分のガンダムを飛び立たせた。
ハーネット機は遮蔽物に機体を隠しながら進行するザクに近づいていった。
二機のガンダムが空中からザクに接近していく。が、緑色のモビルスーツはなんの反応も示さない。
「ちょっと変ですね、大尉。相手のレーダーは故障しているのでしょうか?」
目視もできる距離だ。ザクが戦闘態勢を取らないのは不自然だった。
「そうだな。だが油断するな」
「わかりました、大尉」
ハーネット機が進行するザクの前に現れる。
「大尉、陽動になってないじゃないっすか!」
ハーネットのガンダムがビームサーベルを抜いた。だがザクはそれを無視して直進していく。
「なんだ? こいつ」
ハーネットはザクのコクピットを容易に突き刺した。ザクは動きを停止させた。
「おいおい、こいつは……」
カメラをズームアップして破壊したコクピットを映しだした。
「大尉、こいつ自動操縦です。ただ歩行するだけにプログラムしてあったんだ」
* * * *
コロニー内軍病院
ヘルマンの仕掛けた爆弾が小規模な爆発を起していた。電力の供給が止まり停電になる。その中を緊急隊員に変装したヘルマンたちは容易に侵入していた。
部隊は調べを済ましてあったパウルの病室に直行した。病院の中は連続した爆発でパニックになっていた。誰もヘルマンたちを疑わない。
「ここだ」
ドアがヶ破られる。
病室にはロウ・モリガンいや、パウル・クライストが茫然と立ち尽くしていた。
「パウル。助けに来た」
ヘルマンはそう言ったがパウルの反応は薄い。
「来い」
部下たちが廊下で周囲を見張る。
「一体、何があったんですか? この爆発は?」
ロウはヘルマンに尋ねた。
「お前、ロウの方か?」
「僕を知ってるんですね。あなたは?」
「……仕方がない」
ヘルマンは、部下に合図するとロウの両脇を押さえつけた。
「な、何をするんだ!」
抵抗するが屈強な兵士たちは振りほどけはしない。
「すまんな。今はパウルと話をしたい」
ヘルマンはそう言ってロウの首に何かを注射をした。
「うっ!」
ロウは動かなくなった。ヘルマンはうなだれたロウの顔を無理やり上げた。
「うむ……少し、量が多すぎたかな」
「どうしましょう? ヘルマン大尉」
「仕方がない。このまま連れて行こう」
意識のないロウを起こそうとした時だった。押さえこんでいた両脇の部下が殴り飛ばされる。
「お前は……?」
ロウは、頭をさすりながら顔を上げた。
「ヘルマンの旦那。随分、荒っぽいじゃねーかよ」
「お前、パウルの方か?」
「ああ、パウル・クライスト様の御帰還だぜ」
パウルは髪をかき上げた後、病室の窓から外を見た。
「おいおい。一体、何をおっぱじめた? 俺様を救出する為にだけにしちゃあ、大げさじゃねえか。ゲルググ・ガイストのパイロットはそんなに大事なのかよ?」
「お前は確かに貴重な戦力だが、このオペレーションはそれだけじゃない。どちらかというとお前の救出は"ついで"だ」
パウルは振り向く。
「なんだよ。嘘でもお前の為くらいの事は言ってくれよ。興醒めするだろうが」
市街地で爆発が起きた。
「おいおい、本当に派手だな」
「オペレーション・アークの実行中だからな」
パウルの顔付が変わる。
「ははは、いよいよか! いい時に起こしてくれたぜ、旦那」
「時間がない。すぐ撤収する」
「ああ、わかったよ」
病室には誰もいなくなった。
一枚の絵を残して。
数時間後、コロニー内の混乱も収まっていた。
連邦軍の警戒は続いているものの戦闘らしきものも今は無い。
そんな中、ミナは誰もいない病室を茫然と見つめていた。
ベッドの上には描きかけのスケッチが置きっ放しになっていた。