漆黒のファントム
1、狩りの日
二稿目
第102輸送船団が襲撃を受けた6日後 ――月面地球連邦軍模擬戦エリア――
光のない宇宙空間を漂う様に一機のモビルスーツがいた。
無線封鎖中のコクピットは静寂に満ちていた。
視界の狭いモニターから月の太陽に照らされた部分が見えている。パイロットはそれをぼんやりと見つめていた。
白と黒の二色のみの背景をミナ・ハンサカーは気に入っていた。
「奇麗だ……」
ふとそう呟いた時だった。
封鎖中の無線が突然破られる!
『リトルバード! 敵を追い込んだ!』
ミナ・ハンサカーは慌てて無線に答える。
「りょ、了解、ブルーリーダー」
最小限の電力のみで動いたいたモビルスーツ・RGM-79がいきなりトップギアに入る!
『頼むぜ! リトルバード』
ミナは操縦桿を握りなおした。
だが……
「りょうか……いって、なんですか? この数!」
ミナはレーダーとモニターの拡大画面に映る相手のモビルスーツの数に驚く。
『悪いと思うんだけどな、味方は俺以外やられちまった』
「それって追い込んだんじゃなくて追われてるって事じゃないですかーっ!」
『だから謝ってるだ……あら?』
通信に短いアラームが入る。
「ブルーリーダー?」
『……すまん、俺も撃墜みたいだ。』
「ええーっ!」
戦列を離れていく味方のモビルスーツの背後にほぼ戦力の残った仮想敵部隊が見える。
「なにが、"すまん"よ……」
ミナの目つきが変わった。
――同時刻・模擬戦司令センター内――
二人の連邦軍士官が訓練施設の全エリアをカバーするモニタールームに入った。
「"お薦め"の奴です。二人いるんですが、まずは一人目。チェスター・ハーネット准尉は、モビルスーツの格闘戦をさせたら最高のパイロットですよ」
浅黒い連邦軍士官が隣にいる士官に言った。隣にいるリケンベのは大尉の彼より上の中佐だった。
「最高ねえ……」
リケンベが納得いかなそうな声でそう言った。
ジオン公国と地球連邦軍の1年間に及ぶ戦争は連邦軍の勝利に終わる。
その後も連邦軍は、終戦後もそのモビルスーツ戦の技術を低下させない様に月面で大規模な模擬訓練を続けていた。
各方面軍の部隊をこの月面演習施設に送り込んで優秀なパイロットを集めた仮想敵機群"アグレッサー部隊"と対戦させるのだ。実戦に近い模擬戦場での短期間での訓練はパイロットたちの技術の向上に十分役立っていた。
そして今、モニターの中では3体のRGM-79通称ジムが一機のアグレッサー部隊の教官機に同時に攻撃を仕掛けている。
RGM-79は1年戦争時に連邦軍がジオン公国軍の機動人型兵器モビルスーツに対抗する為に開発した量産型モビルスーツだった。汎用性を高く設定されたRGM-79は戦後も連邦軍の主力として配備され続けていた。
「わかりますか? 中佐」
そう促すデイモン大尉にリケンベは、ようやくこれが3対1のハンデ戦であることにようやく気がついた。
「ハーネット准尉は、今日はアグレッサー部隊側に加わっていますが、この演習場に来た部隊の中で最も優秀なパイロットの一人です」
攻められていたハーネットの搭乗するRGM-79ジムは攻撃をかわすと避けながら一機の腕を蹴り上げる。ビームサーベルが弾け飛んだ!
サーベルを飛ばされた相手のジムは焦ったのか一瞬、動きを止める。ハーネットは、その隙を見逃さなかった。ビールサーベルがコクピットに食い込む。
「あっ!」
コクピットの中では、撃墜されたのを示す赤い表示がモニターいっぱいに映し出された。
「レッド1、お前は死んだ。フィールドから抜けろ」
敗退したパイロットにオペレーターが無慈悲に言う。
「ッデム!」
スピーカーから悔し紛れの悪態が聞こえてきた。
「聞こえたぞ」
オペレーターが付け加える。
模擬の戦場では、数の上では不平等な激戦が続いていた。
月面の大地に転がるビームサーベルがハーネット機に拾われた。周囲を取り囲むのは同じくビームサーベルを構えた2機のRGM-79ジムだ。
ハーネット機は両手に一本ずつのサーベルを持つと腕を広げた。
「ほう……」
その二刀流の姿にリケンベは思わず感心する。
背後に位置していたジムが突っこんだ。機体を反転させ最初の攻撃をさばくと逆に攻め返す。
防戦していた相手の攻撃が荒くなる。大振りされたサーベルを受けずに避けてかわすとコクピット部分ががら空きになった。
「決まったな」
デイモンが呟くと結果はその通りになった。
ビームサーベルの剣先がコクピットに押し込まれていく。貫通はしない。模擬戦用のビームは同じく模擬戦用のビームサーベルのみに反応し、反発と衝撃を起こす。しかしチタンの装甲を溶かす程の熱量はない。影響を与えるのはジムの機体数十箇所に取り付けれた判定用のセンサーだけだった。
「レッド2、お前も終わりだ」 オペレーターは、敗退したモビルスーツのパイロットに冷たく言い放った。
残りは一機は、相手の攻撃力に後ずさりしていく。反撃が始まった。二刀流での攻撃は容赦なく相手を追い詰めていった。防戦のジムは受けるのが精一杯のようだ。明らかに攻撃スピードは相手の方が上だ。
サーベルが突きつけられジムは避けようとして体勢を崩す。そこを狙ってビームサーベルが弾き飛ばされた。
上がった腕の隙間からサーベルが突き刺された。模擬戦用のビームは貫通はしないもののコクピットにしっかりと直撃していた。ジムの構えはまるでフェンシングの選手の様だ。
「まだまだだな、新兵」
コクピットのハーネットが「レッド3、お前も死んだ。これで小隊全滅だ。はい、お疲れさん」
オペレーターは、そう素っ気無く言うと置いてあったコーヒーをすすった。
その一部始終を観ていたリケンベ中佐は、ただ呆気にとられるだけだった。隣のデイモン大尉は推薦したパイロットの活躍に、どこか得意げだ。
「どうです? 中佐」
「悪くない。決まりだな」
「じゃあ、もう一人を見ないんで?」
「あいつよりすごい奴がいるのか?」
「まあ、見てください。もうすぐ出てきます」
「どんな奴だ?」
「ハンサカー准尉。俺を唯一、撃墜したパイロットです」
3機のジムをビームサーベルで撃破したチェスター・ハーネットは、休む間もなく次の敵に備えた。
落ちていたビームライフルを拾い上げるとエネルギーゲージを確認する。
「よし、使える」
ハーネットのRGM-79ジムがライフルを構えて立ち上がる。
その見据える彼方に光の線が交差していた。
「さあ、こい! ハンサカー」
コマンドルームの大型スクリーンには、いくつもの赤と青のスクエアマーカーが映っていた。青は、防衛サイドでアグレッサー部隊と訓練部隊の混成チーム。赤は、全員が訓練部隊で構成された攻撃サイド。それがスクリーン上で目まぐるしく展開している。
マーカーがひとつが消えると観覧していた他のパイロットたちから歓声が上がった。
「盛り上がってるな」
リケンベがデイモン大尉に耳打ちする。
「そのはずですよ。見てください」
デイモンはスクリーンを指差した。マーカーの色は青と赤。その対比は9対1だ。
「どういうことだ?」
「防衛網を突破してきたもうひとつの小隊ですが、ほとんどが撃墜されて今、1機が三個小隊を相手にしてます」
「"ランカスターの戦術"以上に戦力比だな。勝ち目はないだろう。だからみんな喜んでいるのか?」
デイモンがにやりと笑う。
「いや、彼らが盛り上がっている理由はね……」
デイモンがそう言いかけた時、9つの青マーカーの内、ひとつが消えた。歓声が再び上がる。
「今にわかります」
デイモンは得意顔でそう言う。リケンベ中佐はその意味がわからなかった。
そう言ってる間に青のマーカーが、また消え去った。
数を減らした青のマーカーたちは、赤のマーカーを包囲しようと詰めていくようだが、いいポジションになると赤は、難なく青たちをすり抜けていく。
「上手いな。あのパイロット」
パイロットでないリケンベ中佐にでさえスクリーン上の動きが卓越したものだとわかった。
「"リトル"! "リトル"! "リトル"! 」
次に青マーカーが消えた時、コールが湧き上がっていた。
「リトルって?」中佐がデイモン大尉に尋ねる。
「残っている赤のパイロットのコールサイン」
声援がパイロットに届いたかのように青マーカーが連続して消えた。さらに室内は盛り上がった。すでに青のチームの数は半数を割っていた。
「おいおい、相手は9機いたんだぞ」
驚くリケンベにそんな事は分かっていたとばかりにデイモン大尉は肩を竦める。
「このままいくと全部、撃墜するぞ」
「かもしれませんね」
「こいつは馬鹿げてる」
「ですよね」
デイモンは肩をすくめる。
その後、赤マーカーの快進撃は続き、ものの数分で残りの青マーカーの殆んどを消し去った。
そして最後の青マーカーが消えた時、大喝采が起こった。 防衛線を突破した赤マーカーはハーネットのRGM-79に迫っていく。
「すごいな。やってのけたぞ。このパイロット」
リケンベの心情もすでにこの凄腕パイロット側だ。画面上のユニットマーカーは、ブルーもレッドもひとつずつ。もはや一騎撃ちだった。
「きやがれ」
月の岩石に機体を隠して敵の接近を待つハーネット。
頭部分にオレンジ色のラインを入れたRGM-79が月面に急降下していく。
コクピットのモニターには地形のラインが映し出される。その中にハーネット機の姿はない。
「交戦があったはずが……」
パイロットはハーネット機の姿を探した。
「もう少し近づけ」
ハーネットはじっくりと敵を待つ。
オレンジラインのRGM-79は、ハーネット機のいる位置からかなり離れた場所に降下すると、地表ぎりぎりで飛んだ。敵の攻撃に備える様にシールドを全面に立てる。
「利口な奴だぜ」
シールドで姿を隠して直進してくる敵に思わず舌打ちしたハーネットは照準をつける為に身を乗り出す。
その時だ!
「ちぃ!」
ビームがハーネットのRGM-79が抱えるシールドを弾いた!
「見えるのかよ! この距離で」
ハーネットは攻撃を避ける為に移動をし始めた。が、ビームはハーネットを追ってくる。
「くそっ! ハンサカー!」
ついに追い詰められたハーネットにビームが命中する。
「ハーネット、残念だな。お前も直撃を食らった。つまり戦死だ」
オペレーターが、楽しげに言った。
同時にパイロットたちの観覧する席から一斉に歓声とブーイングが起きる。中の一人が他のパイロットから札を集めていた。どうやら賭けをしていた様だ。
「すごい、奴だな。ほとんどあいつ一機で部隊を撃墜させたんじゃないのか?」
「どうです? お望みのパイロットたちでしょ?」
「ああ、ハーネット准尉と……えーと、誰だっけ?」
「ハンサカー准尉」
「そうだ、ハンサカーだ。二人に会ってみたいな」
「すぐに帰還するはずです」
開きっぱなしのゲートにRGM-79の部隊が次々と侵入してくる。先ほどまで模擬戦を展開していた集団だ。
エアルームの窓越しからデイモンは最後尾のRGM-79"ジム"を指差した。
「分かりますか? 機体ナンバーが07のジム。あの頭にオレンジ色のラインをつけたヤツ」
エアルームの前にちょうどジムが停止した。コクピットが開かれた。黄色い白いノーマルスーツが見えた。
「彼らと話したい」
デイモン大尉は頷くと壁に掛けられた受話器を取るとボタンを押した。
「管制室か? デイモン大尉だ。悪いが今から言う二人を呼び出してくれないか? 」
数分後
「ミナ・ハンサカー准尉です」
「入れ」
ルームのドアが開かれると入り口に立つパイロットの姿にリケンベ中佐の予想は大きく裏切られた。
「失礼します」
その容姿は、とてもモビルスーツ9機を相手にしていたとは思えないほどきゃしゃで小柄だった。
中に入る時、グリーンがかったショートヘアがなびいた。
パイロットはリケンベたちの少し前に立つと敬礼した。先に来て既に話を終えていたチェスター・ハーネットがウインクする。
「何でしょうか? 大尉」
リケンベに尋ねるミナ・ハンサカー。その声は涼やかで聞き心地がよかった。
「楽にしてくれ、准尉」
パイロットは直立不動の姿勢を崩すと腕を後ろに組んだ。
「私を覚えているか? 准尉」
「はい、ロス・デイモン大尉。この演習基地のアグレッサー部隊エースですから」
「エースか。いい響きだが先週、このエースを撃墜したのは誰か?」
「じ、自分です、大尉」
「そのとおり、俺はプライドを傷つけられたわけだ」
ミナ・ハンサカーは直立したままだがその表情は気まずそうだ。
「さて、ハンサカー准尉。そんな君に、こちらの中佐殿が君に用事があるそうだ」
デイモンが目配せするとリケンベ中佐は咳払いする振りをして小さな声で彼に呟いた。
「おい、デイモン。これは間違いじゃないのか?」
「いえ、彼女があのオレンジラインのパイロットです」
平然とでイモン大尉は言い放つ。リケンベ中佐は半分納得しないような面持ちで目の前のパイロットを見た。
連邦軍に女性パイロットは珍しくない。しかしこの娘には戦闘モビルスーツのパイロットらしさは全く感じられない。ましてや模擬選とはいえ9機のモビルスーツを撃墜した人物と同じとはリケンベの頭の中では、どうしても変換できなかった。
リケンベ中佐に半ば睨みつけられるようにたミナ・ハンサカーは少し不安げな表情になっていた。その顔つきは戦闘兵器のパイロットというよりは、客のクレームに戸惑うレストランのウェイトレスといった感じだ。
「えーと……君の氏名は? 准尉」
リケンベが切り出す。
「ミナ・ハンサカー准尉! コールサインは"リトル"です。中佐」
「そうか……リトル・ハンサカーね」
「いえ! リトルはコールサインで名前はミナ・ハンサカーです。中佐!」
二人のやり取りをそばでデイモン大尉が楽しげに眺めている。
「ハンサカー准尉」
「はい! 中佐」
「君はガンダムに乗りたくはないか?」
「はぁ?」
「ガンダムだ。RX-78通称ガンダム。知らんのか?」
「いえ、知っています! 中佐」
「もう一度聞くが君はガンダムに乗りたいか?」
「はい! 中佐」
「では決まりだな。おめでとう、君は今からガンダムパイロットだ」
「え……? そんなにカンタンに?」
「それと君と、そこにいるハーネット准尉は今日付けで原隊を離れ特務部隊に編入してもらう」
「特務部隊?」
「そうだ」
「質問をしてよろしいでしょうか?」
「なんだ? 准尉」
「その部隊は何を目的とした部隊なのでしょうか?」
リケンベ中佐は少し考えた後答える。
「"狩り"だよ」