Dファクトリー

漆黒のファントム

漆黒のファントム 本編(旧バージョン)22〜ラスト


22、交差する宇宙


 叫び声にも似たその声にミナは再び目を開けた。
「ロウ?」
 ビジョン化したバリヤはミナのFガンダムに接触寸前で止まっていた。しかしその強大なエネルギーは放電を起こしFガンダムの装甲に干渉している。
『ミ……ミナ……』
 機体越しに入ってくるのは確かにロウ・モリガンの声だった。

 ありえない!

 目の前の悪魔の様な機械に乗り込んでいるのはあの優しいロウ・モリガンなわけがない。だいたい何でストリートで絵描きをしているロウがジオンのモビルスーツに乗っているのか?
 ミナの頭は混乱した。
「本当にロウ?」
 しばらく間を置いた後、ロウの言葉が再び聞こえる。
『ミナ……早く逃げてくれ。こいつをこれ以上押さえきれない』
「こいつ?」
『もう一人の僕……ファントムだ』
「ファントムがあなた?」
『早く……』
 Fガンダムはバーニヤを噴射させ後退した。バリヤはそのまま停止して追撃はしてこない。
 ミナはハイパーゲルググの姿を見つめながら考えていた。
 本当に彼?
 ゆっくりと離れていくFガンダム。
 通信用のレーザーをゲルググに向ける。バリヤで覆われたゲルググに正常な通信ができない可能性もあったがその心配はなかったがそれはいらぬ心配だった。雑音混じりだがミナの通信はゲルググに届いていた。
『ロウ?』
「ミナ……」
 ロウ・モリガンは虚ろな目で通信のスイッチに切り替えた。
「ミナ」
『ロウ。なんであなたがモビルスーツに乗っているの?』
「話せば長くってね」
『そこから降りて』
「そうしたいところだけど、もうひとりの僕が邪魔するんだよね」
『もう一人の?』
「ああ、ファントムっていう嫌な奴でさ」
『もうやめよ? こんなことやめるのよ』
「そうだね……僕もそうしたいんだけど。くそっ! こんな事なんてしたくないんだ!」
 ゲルググが再び動き始めた。それに気付いたミナはMA80アサルトライフルを構えた。
「ロウ! くっ」
 Fガンダムはゲルググに照準を合わせた。
 しかしゲルググのビジョン化したバリヤはその勢いを小さくしていく。数秒後、バリヤは消えていた。
『撃て! ミナ! ゲルググを撃て!』
 その通信にミナは戸惑う。
「そ、そんな事できない!」
『早くしろ。ファントムが僕の身体を乗っ取ろうとしている……今のうちに!』
「でも」
『早く!』
「できない!」
 その時、ミナのFガンダムとロウのゲルググの間に大破したモビルアーマーが割って入った。
「そうはさせないよ!」
 モビルアーマーに装備されたメガ粒子砲がFガンダムに向けられた。照準をゲルググに合わせていたMA80アサルトライフルは突然の標的に対応できなかった。
「さっきはよくもやったな。でもいいさ、お返しはしっかりするからさぁ!」
 ミハエルはトリガーに指をかけた。
「死ね! ガンダム!」
 しかし、モビルアーマーは背後から強烈なエネルギーを浴びた! 回路が一瞬でショートする。メガ粒子砲はその機能を止めた。

「なんで? ファントム……」

 引き連れた生き残りのビットが防衛行動を起こす。バリヤ内に侵入したビットの粒子ビームがガルググに向って集
中砲火を浴びせた。ビームがゲルググの機体の何ヶ所かを貫く! 機体の一部が爆発を起こしコクピットを襲った!
「うっ!」
 その時、ロウの眼つきが変った! 生命の危機を感じたファントムがロウの人格を奪い取ったのだ!
 ゲルググは瞬時にビームナギナタを振り回すとバリヤ内に侵入していたビットを一瞬で切り捨てた。
「小僧! 何しやがる!」
 ファントムの人格になったロウは再びバリヤを増幅させる。強烈な殺意はエネルギーの塊となりミハエルのモビルアーマーを襲った。バリヤーのエネルギーに包まれたモビルアーマーの機体は一瞬で押しつぶされ爆発を起こした! ピンクの火球が宇宙空間に広がっていく。
「ちっ! ハメやがったな……ロウの奴」
 ファントムは熱くなったわき腹を見た。ノーマルスーツから真っ赤な血が染み出ている。
「痛てえじゃねえかよ……こんな時に身体を回しやがって……」
 苦痛がファントムを襲う。痛みで意識が遠のきそうになった時、ロウの人格がファントムを押しのけた。
 被弾したゲルググはバリヤーを解除し静止していた。機体の破損部からスパークした電流の光が見える。
「ロウ!」
 ミナのFガンダムは戦闘力の無くなったゲルググに接近する。
『やられた……撃たれるって痛いんだな。初めて知った』
「怪我をしたの?」
『ああ、腹から血が出てる』
 FガンダムはMA80ライフルを放り投げると残った腕でゲルググの機体を掴んだ。
「な、何をする?」
 Fガンダムはバーニヤを噴射すると被弾したゲルググを連れて残骸漂うデブリ群に進路をとった。
「機体を固定させる場所を探すの。治療をしなくっちゃ……」
 連邦とジオンの2機のモビルスーツは寄り添いながら漂う宇宙戦艦の残骸の中に入っていった。



23、星屑の中で


 特攻をかけるリック・ドムはサラミスの艦橋めがけて突っこんでいった!
 指揮席のライス中佐は目の前に迫るリック・ドムの姿に身体が固まる。

 だめか!

 レイチェル・ライスがそう思った瞬間だった。特攻するリック・ドムに立ち塞がる様にガンダムが姿を現した。
 "01"と描き込まれたのはそのFガンダムは、アレックス・デイモン大尉の機体だった。
「させるかよ!」
 ビームサーベルがリック・ドムの胴体を真っ二つに切り裂いた! 艦橋のすぐそばで爆発が起きる。衝撃でサラミスの船体が僅かに傾く。爆発が起きて数秒後、そこに立っていたのはスクラップ寸前にも見えるFガンダムの後ろ姿だった。機体からは電流のスパークする光が見える。
 艦橋の乗組員は誘爆の可能性もありそうな、そのガンダムの姿に驚いた。
 通信兵がガンダムに連絡を取る。
「フレア1、大丈夫か?」
 ガンダムはゆっくりと振り向いた。顔というべきサブカメラは破損し、内蔵された機械が見えるなんとも痛々しい姿だった。
『俺は大丈夫だ。だがガンダムの方はヤバイ』
 デイモンの声が艦橋の中に響く。ライス中佐は席のマイクをとった。
「ありがとう。デイモン」
 ライスは一言そう言った。
『なあに、あんたの前でカッコつけたかっただけですよ』
 デイモンはあっさりとそう言った。
 その言葉にライスは思わず笑みをこぼす。
「かん……?」
 声をかけようとした下士官はライスの楽しげな表情に気がついた。直前まで死ぬかもしれなかったのにだ。
「何をしている? ガンダムの収容を急げ!」
 ライスは手を叩くと、はりのある声で指示を出した。部下達がはっとした様に一斉に動き出した。

 ガンダムとゲルググは比較的外観を崩していたないジオン軍宇宙巡洋艦ムサイ級の残骸を見つけると船体に取りついた。
「どこか固定できる場所を……」
 ミナはメインカメラとサブカメラを総動員して入り込める場所を探した。輸送艦をベースしたムサイ級はモビルスーツ搭載を前程で設計されている。格納部分でならモビルスーツ2機が入り込める場所があるはずだった。ハッチらしき場所まで辿り着くとビームサーベルを使い船体を切り開く。案の定、空洞部分を見つけたミナはゲルググを押し込んだ。
慣性で奥まで流れていくゲルググ。ゆっくりと中を流れるゲルググの様子を確認するとミナのFガンダムも船内に入っていった。ガンダムの機体全部が船内に入るとミナはコクピットのハッチを開く。宇宙空間移動用のバーニヤを装着すると救命道具一式の入ったボックスを掴みゲルググに向った。
「ロウ」
 ゲルググに辿り着いたミナは機体に触れると内部に呼びかけてみる。振動を感知して音声発生装置がミナの言葉をロウに伝えているはずだ。
「ロウ、コクピットを開けて」
 ミナはもう一度、呼びかけた。
 しばらくして円形のハッチが開く。 内部ではジオンのノーマルスーツを着たパイロットが力なくうなだれていた。周辺の計器パネル付近がかなり損傷している。ノーマルスーツの左部が黒くなっている。恐らく小規模な爆発があったのだろう。
「ロウ!」
 ミナはゲルググのコクピットに乗り込むとジオンのパイロットに顔を近づけた。薄いスモークシールド越しに見覚えのある顔が見える。
 それは間違いなくロウ・モリガンだった。
 実際、ロウの姿を目にしても未だに自分達が闘っていた相手が彼だったという実感が湧かない。しかし仲間を殺し、 自分を殺す寸前だったのは紛れもなく目の前のジオンパイロットなのだ。

 いや! 彼は私を助けてくれた。殺そうと思えば殺せたのに……

 ミナはうなだれるロウのヘルメットを叩いた。
 ロウはそれに反応して目を開ける。
「ミ…ナ?」
 ロウの右手がゆっくりと上がるとミナのヘルメットに触れた。
「会えてうれしいよ」
「ロウ。しっかりして」
「僕は知らなかったんだ。彼のことなんて……」
「黙って。今、手当てする!」
 ミナはコクピットのハッチを閉じるとロウの身体を右によせた。生命維持装置が密閉を感知して酸素がコクピット内に供給を始めた。ミナは装置が壊れていなかった事に感謝した。
「待っていて。今、手当てをするから」
 ミナは、コクピットの空いた僅かなスペースに入り込むと救命ボックスを取り出した。傷の程度を見る為に、わき腹に顔を寄せたミナはその血の量に思わずたじろぐ。
 早く止血しなくては……
 血で染まったパイロットスーツの一部を切り取ると溜まっていた血がシャボンの様な塊になって飛び出した。人間の生命を維持する血液は限られている。ミナは動揺する気持ちを抑え込みながら手当てを進めた。
 赤く染まった患部にロウの血液を噴出させた原因を見つけた。人差し指ほどの破片が突き刺さっている。ミナは破片に手を伸ばした。
「くっ!」
 痛みでロウの顔が歪む。
「あっごめん」
「いいや、我慢できる。やってくれよ」
 ロウはそう言ったが表情に余裕は感じられない。
「う、うん……」
 ミナは素早く破片を抜き取った。血が細かい玉になって吹き出る。消毒用のムースを吹きかけたあと止血用のテープを貼り付けた。
「これで血は止まると思うんだけど、でもどこかでちゃんと治療しないと……」
「こ、これで十分さ」
「ただ止血テープで傷口を塞いだだけだよ?」
「……十分」
 そう言ってロウはニヤリと笑った。
「見なよ」
 ロウはモニターを指差した。
「あれは?」
 そこには追撃される小型の宇宙艦が見えた。
「亡霊たちだ……"彼"の仲間たちだ」
「彼? もうひとりのあなたの事?」
「ああ、気がつかなかったよ。こんな奴が僕の中にいるなんて。危うく……君を殺すところだった。本当にごめん……」
 とはいえ、ミナにはまだよく状況が掴めていなかった。
 悪い夢ならまだマシなのに……
 救命ボックスを片付けながらミナはそう思った。
「……いろいろな事を忘れてたんだ。昔の事。本当の僕」
「ロウはロウだよ」
「どっちも僕だ。今はすごく分かる」
「それでもロウは……」
「僕、ニュータイプを研究する施設にいたんだ」
 ミナの言葉を遮る様にロウは話始めた。
「いろんな薬を飲まされたり注射された。人工的にニュータイプを作り出すとかなんとか……戦争に勝つ為に僕や仲間たちをモルモットにしてたんだ。死んでしまった仲間も大勢いた。唯一生き残ったのは僕と、君を襲ったモビルアーマーのパイロットなんだ。そんな僕らを助け出してくれたのは……」
 ロウは砲撃戦を続けるコルヴェット艦の映る再びモニターを指差した。
「……助け出してくれたのは大佐たちなんだ」
 ジオンがニュータイプ研究に力を注いでいたのは聞いたことがあった。そして、その研究は連邦軍が全て引き継いだという噂も聞いていた。ミナも多くは信じていなかったし気にも留めていなかった。だが、行なわれた実験の被験者が目の前にいる。
「大佐たちだけだったんだ……」
「え?」
「人間として接してくれたのは大佐たちだけだったんだ」
 ロウは出血のせいか少し目も虚ろになっていた。
「だから、僕も"ファントム"も大佐たちを見捨てられないんだよ」
 そう言うとロウは操縦用のスティックに手を伸ばした。
 


24、困惑のモビルスーツ


 暗闇の中、一斉に光が差した。
 眩しさにアル・ハーネットは意識を取り戻す。ダウンしていたシステムが再起動し始めたのだ。メインカメラも回復し外の映像が映りこむ。コンピューターが周囲に浮かぶ物体を識別し始めた。敵の姿はない。
 ようやくハーネットは自分の置かれた状況を理解し始めた。
 ゲルググの攻撃を受けたハーネットのFガンダムは強大なエネルギーに押されるように宇宙ゴミであるデブリのひとつに叩きつけられたのだ。それが幸いしてエネルギーの衝撃はデブリが吸収してくれた。デブリは表面が熔け酷い状態だったが攻撃を受ける前も多分"酷い状態"だっただろう。システム異状を確認してみたが移動はできるようだ。右手に持ったガトリングガンは銃身が熔けて曲がり使い物にはならなかったが背中に収めた二本のビームサーベルは健在だった。
「やっぱりこっちの方が性に合ってる」
 ハーネットはガンダムにふたつのビームサーベルを抜かせると押し込められたデブリを切り裂いた。真っ二つになる
デブリが左右に離れていく。Fガンダム2番機はバーニヤを吹かすと自分をこんな目に合わせた相手を探しに飛び立っていった。

 破損したゲルググが動き始めた。
「だ、だめだよ!」
 ミナはロウの肩を押さえて止めようとした。
「邪魔するな!」
 ロウが怒鳴り声を上げる。いつもの優しい声ではない。ミナはロウの顔を見た。
 そこには優しいまなざしはない。怒りに満ちた獣の様な目だ。
「ファントム……?」
 ロウはニヤリと笑った。
「ご名答。連邦の女め」
「ロウ! 戻って!」
「無駄だ。あいつにそんな力も度胸もねえ」
「だめ! ロウ」
「うるさい。お前さえ現れなければ"俺たち"は上手くやってたんだ。連邦の連中も撃退できた」
「本当にそんなことができると思っているの?」
「やってみせるさ。俺とこのゲルググでな!」
「そんなこと言って!」
 ミナの平手打ちがロウのヘルメットに叩きつけられる。痛くはないがファントムに入れ替わったロウは腹を立てた。
「こ、この!」
 ゲルググのバーニヤが点火される!
 死んだムサイ艦の腹を突き破って黒いゲルググは宇宙空間に飛び出していった。

 逃亡しようとするコルベット艦を追撃して2隻のサラミスが砲撃を繰り返していた。
「コルベットの足は速い。何としても止めろ!」
 艦長のデイビス・クロウは声を荒げて部下に指示をした。
 放ったメガ粒子砲が艦尾にヒットする。小規模な爆発を起こしたコルベットは大きく進路を逸らした。
「いいぞ! 突入部隊に準備させろ。コルベットを捕獲する」
 待機中だった連邦軍兵士の部隊は合図を受けてヘルメットを装着しだした。手には宇宙用のアサルトライフルが握られている。
 サラミスは徐々に被弾したコルベットとの距離を詰めていった。
「大佐、エンジンの修復は無理です!」
「諦めるな」
「は、はい!」
「ファントムとエンジェルとの連絡は!」
「つきません! レーダーからもロストしたままです」
 大佐は椅子に倒れる様に腰掛けた。
「これまでか……」
 ルントヘット大佐は部下に聞こえぬように呟いた。
 操舵室にヘンデンブルグ博士が入って来た。彼がファントムとエンジェルを作り上げた人物である。かつてのジオン公国ニュータイプ研究組織フラナガン機関の多くは連邦軍に接収され同じ研究を続けているが彼はそれを拒んだ。そして自分の作品であるファントムとエンジェルで連邦にささやかな抵抗を続けていた。
「どうかね? 大佐」
「どうって、2隻のサラミス級に追撃されてる最中で先ほど動力炉付近を被弾しました。たったそれだけです」
「逃げ切れるのかね?」
 博士は穏やかに尋ねた。
「どうでしょう? ファントムかエンジェルが戻ってくれば逆転もありえますがレーダーはロストしたまま。もっともミノフスキー粒子の影響下ではレーダーもあてになりませんが」
「芳しくなさそうだね」
「我々はまだ諦めていません」
「だろうね。だからここまやってこれたのだろうから」
 力強いルントヘット大佐の言葉にヘンデンブルグ博士がにやりと笑う。
「そこが君の好きなところだ」
 その時、レーダー手がモニターに映る機影に気がついた。
「レーダーにモビルスーツ確認! MS−14ゲルググです!」


 損傷したゲルググはコルベット艦に急速に接近していた。
 それは二隻のサラミス級も察知していた。
「モビルスーツ接近! ゲルググ! ファントムです!」
「総員迎撃態勢! ゲルググを近づけるな!」
 迎撃用の機銃が一斉に射撃を始める。しかしゲルググはそれを難なく避けた。
「やめて! ロウ」
 ロウの片手がミナの首に押し付けられる。とても怪我人とは思えない力だ。
「うるさい! 邪魔をするな!」
 サラミスから離れていくゲルググはその飛行を乱していた。バーニヤの光が宇宙空間にジグザグに交差する。
「見つけた!」
 後方からデブリ帯を抜け出したハーネットのFガンダムが黒いゲルググを見つけた。
「もう捕獲なんて生ぬるい事は言わねえ! 撃墜してやるぜ、ファントムさんよぉ!」
 バーニヤを最大限に噴射したFガンダム2番機はゲルググに接近していった。
 ハーネットは二本のビームサーベルを抜いた。
 すぐにファントムは接近するガンダムに気がつく。
「まだガンダムがいたのか!」
 機首をガンダムに向けたゲルググはビームナギナタを引き抜いてガンダムのビームサーベルを跳ね除けた。
「このぉ!」
 一撃を退けられたガンダムはゲルググから離れていった後、大きく旋回しはじめ再びゲルググに機首を向けた。
 次のアタックを警戒したファントムはバリヤのスイッチを入れた。
「まだシステムは生きてるんだ。みてろ!」
 背中に背負ったユニットが可動し始めた。ゲルググの周囲が光り始める。再び対ビームフィールドが作動しはじめたのだ。
「いくぜ! ファントム」
 Fガンダムはビームサーベルを突き立ててゲルググに突っこんでいく。
「だめ! ハーネットさん!」
 ゲルググから発せられる覚えのある気配にハーネットはガンダムを急旋回させた。
「ミナか? なんでゲルググに?」
 戸惑うハーネットはゲルググから一旦、遠ざかった。
 ゲルググはFガンダムに向くとビームナギナタを構えた。
「ガンダムめ、 まだいたか」
 ファントムはフィールドの操作を始めた。ゲルググのジェネレーターが光り始める。
「やめて! ロウ」
 ミナはロウの腕を掴んだ。
「なにする?」
 動きの止まったゲルググを不審に思い様子を見守るハーネットはレーザー通信を試みた。レーザーがゲルググに当ったのを確認すると呼びかけを開始した。
「ジオンのモビルスーツへ。そこにいるのはミナ・ハンサカーなのか? 」
 雑音が聞こえてくる。何かの言い争う声も。
 それはミナと知らない誰かの声だった。
「ミナ? 」
 思わず顔をしかめるハーネット。
 その時、ハーネットの耳に入って来たのは確かに銃声音だった。
 


25、漆黒のファントム


 銃弾がロウのヘルメットをかすめた。
 背後のモニターが割れ画像が映らなくなっている。
「なにをする……」
 ロウ・モリガン……いやファントムはハンドガンを構えるミナを睨みつけた。
 目を逸らさずファントムを見つめるミナ。ハンドガンを握る手は震えていた。
「やめて、ロウ」
 涙声で訴えるミナをファントムはしばらく黙って見つめていた。
 そして間を置いた後のファントムの態度はミナが予想していなかったものだった。
「それはだめだよ」
 ロウではなくファントムの言葉と分かったがそのトーンは穏やかで先ほどまで憎悪をむき出しにしていた態度とは全く違っていた。
 ミナは戸惑いつつもファントムに語りかけた。
「なんで? あなたたち僅かなジオン公国軍の生き残りが連邦軍に反抗したとしても何も変らないし、みんなだって……ジオンの人も地球圏の人も戦争なんて望んではいない! 戦争を望んでいるのは一部の政治家や権力者の自分が死に直面しない人たちだけよ! あなたたちは、それに踊らされているだけなんだわ! 」
 ミナは自分でも驚くほど饒舌にファントムに訴えた。普段は連邦軍のパイロットとして働いていても政治の事には感心のないフリをしていた。仲間内でそんな話が盛り上がっていてもわざと加わらないようにしていたはずだった。一年戦争の時もパイロットに志願したのは正直なところ衣食住と進学資金の為だった。隠れた才能は発揮され今はガンダムのパイロットとしてここにいる。とはいえモビルスーツのパイロットになったのは決して思想からではない。
 この時、ミナの口からは、タガが外れた様に今まで心の底で感じていた事が一機に吹き出ていた。
 それは考えまいとして心の中で目をつぶっていたことだった。
「それは分かっている……ミナ・ハンサカー 」
 ファントムは驚くほどあっさりとミナに同意した。
「だが知ってるか? お前と俺は実は同じなんだぜ。誰かの思惑の為に人を殺す。俺は連邦の人間を。おまえはジオンに関わる人間を。やってることは同じ。立場が違うだけなのさ。おれたちは"手段"なんだよ」
「でも私たちには"意思"がある! 間違っていると思えば止めれる意思が! 私、あなたが人を殺さなければ手を出さない。軍だって抜ける。だからお願い、ロウ! これ以上、人を殺すのはやめて!」
 ミナはすがるようにファントムに抱きついた。ファントムは飛び込んできたミナの頭を包むように抱いた。
「だがな……だめなんだよ。俺たちにまだなんだ。ルントヘット大佐も俺もケリをつけてないんだよ」
「ケリってなに? 戦争はもう終わっているのよ?」
「いや! 終わっていない。俺たちはまだ負けてはいないんだ!」
「無意味よ 手を汚さない人間の為にこれ以上闘う事はないわ」
「違うんだよ」
 ファントムはミナの身体を離した。
「違うんだよ……」
 ファントムの顔を見るミナは彼の深い哀しみの目を見た。
「俺を助ける為に死んでしまった人たちがいる。研究所での生活は死んだほうがマシと思える事も多かったけど、それを支えてくれた人たちの事だ。大佐も命を救ってくれた。見た事も話した事もない、おエライさんの為なんかじゃない。これは俺を……俺を救ってくれた人たちのためなんだ」
「そんなの断ち切ってよ。そんなの……哀しいよ……」
 ミナはそれ以上、言葉を続ける事ができなかった。涙が目の前を曇らす。もはや目の前にいるのがファントムでもロウでも関係なくなっていた。ただこの人を死なせたくない。その気持ちだけだった。
 触れた手が俯くミナの顔を上げる。
「ミナ、さよならだ。君に逢えてよかった」
 その時、コクピットのハッチがいきなり開かれた。充満していた機内の酸素は一気に宇宙に放出される。それと同時にシートベルトをしていないミナの身体ももっていかれそうになった。踏みとどまろうとしたミナをロウが強引に押し出した。
「ロウ! 」
 ミナの叫びが遠ざかっていく。ハッチの閉まっていく中、ロウは離れていくミナの姿を目に焼き付けながら見送った。
 ハッチが閉じると同時に通信回線を開いた。
「ガンダムのパイロット。レーザー通信をかけていたのは気付いている。今、お前の仲間を宇宙に放り出した。無事に回収してやれ。でなけりゃ殺すぞ」
 配慮にも脅しとも聞こえる黒いゲルググからの通信にハーネットは舌打ちした。
「ちっ、ナメやがって」
 メインカメラが宇宙空間に漂う連邦軍ノーマルスーツの姿を捉えていた。
「ミナ。お前の位置は分かっている。今、助けてやるから安心しろよ」
 ミナはハーネットからの通信が聞こえていたが返事はしなかった。
 暗い宇宙の中で今は一人でいたかった。

 今は……



 黒いゲルググは被弾したコルベット艦に取りついた。
 それに気付いたサラミス二隻は警戒し艦長たちはコルベットへの接触に慎重にならざる得なかった。
「奴には白兵戦用兵器しか手持ちがない様です」
 副官が艦長にそう報告する。
「なら砲撃はしてこないな。モビルスーツ隊はまだか?」
「Fガンダムが一機が付近で展開中! デブリ帯に行っていたチームも駆けつけます。それとムサイ艦隊と交戦中だったエイプリルとモビルスーツ隊もがこちらに向っています」
「なら、今は奴の動きを止めるだけいい。威嚇射撃で肝を冷やしてやれ」
 行動を決定したサラミスは攻撃態勢に入っていった。


 宇宙に流されたミナの目の前に白いモビルスーツが現れた。
 ハーネットの駆るFガンダム2番機だ。
『ミナ! 大丈夫か?』
 集中力を無くしかけていたミナの耳に聞きなれた声が入ってくる。いつも怒り気味に聞こえるハーネットの声も今は安心できる。
「はい、平気です」
 ミナは姿勢を接近するFガンダムに向けた。機械の手がミナの方に伸びていく。
『まってろ、今助けてやる』
 初めてハーネットと会った時は彼を気難しそうな人間だと思っていた。
 いつも眉間にしわを寄せている彼には話しかけるのも気をつかっていたものだ。しかし長い時間、接していると彼の
不機嫌そうな顔は外にではなく自らに向けられているものなのだと気がついた。ハーネットは自分に厳しい人間なの
だ。常に自らに課題を課し、それを克服しようと試みている。"サムライ"のコールサインも彼らしいと思えてくる。
 さらには気がつくとミナのフォローに回っている機転の良さは実に感心させられるものだ。 それは危なっかしい妹を気にする兄の様でもあった。そして今がそういう時だった。
 ガンダムの金属の手が滑らかに手を伸ばし、ミナを捕らえた。いくら高性能コンピューターで制御されているとはいえ機械の手は生身の人間に対するタッチは難しいものだったがハーネットはそれを難なくやってのけた。
「ありがとう、ハーネットさん」
『いいさ。それよりお前、ガンダムはどうしたんだよ?』
「いろいろあって」
『いろいろ? まったく、手間をかけさせやがる奴だぜ……』
 ハーネットはその時、レーダーに接近する機体に気がついた。識別反応は友軍で表示されているのは量産型モビルスーツのジムが二機ともう一機だ。
「ガンダムだと? 」
 一機のジムが抱えているは片腕の無いガンダムだった。
「おいおいミナ。あれ、おまえのじゃないのか?」
 ハーネット機の手の中で接近するモビルスーツを目視したミナは見慣れた機体に驚いた。
「は、はい。そうみたいです」
 ジムから通信が入る。
『ファントムの捜索中にムサイ級の残骸から見つけました。ガンダムの機体は軍事機密扱いと判断し回収してきました』
 ジムのパイロットの真面目そうな声がそう告げる。
「ミナ。お前を掴んでいちゃあ身動きがとれない。早く自分のガンダムに戻れ」
『りょ、了解です!』 
 ハーネット機はガンダムを掴んだジムに近づくとミナを持った手を向けた。ガンダムの指が開かれるとミナは親指を
蹴飛ばして自分の愛機に飛んだ。

 サラミスが放った数発のメガ粒子ビームがコルベット艦の傍をかすめた。
「大佐! 砲撃が開始されました」
「脅しだ。当たるものか。通信をゲルググに繋げ」
 ルントヘット大佐は冷静に指示する。こういった時、どっしり構えた指揮官の下では部下は安心できるものだ。
『ファントムだ』
 スピーカーからファントムの声が聞こえるとルントヘット大佐は受話器を取った。
「ゲルググはまだいけるのか?」
『ライフルを無くしちまった。だがシールドは使える』
「結構。ではフィールドを使った例のアタックはできるということだな?」
『……ああ』
「どうした? できるのか、できないのか」
 ルントヘットはきつい口調で言った。
『やれる』
「よし、では正面の連邦軍を排除しろ」
『コルベットにシールドの干渉があるかも』
「お前がここから離れたら連中に狙い撃ちされる。それよりはマシだ」
『了解』
 エネルギーコンバーターを作動させたゲルググは青白く光り始めていく。
「エネルギーリンク開始。フィールド展開。冷却装置は……」
 ファントムは冷却装置の異状に気がついた。エネルギーコンバーターが出力を上げるのと比例して機体は熱を帯びていくのが分かる。

 オーバーロードだな……どこかを撃たれたってのか?

 これ以上、出力を上げ続けるれば、どうなる事のかファントムには容易に想像できた。
 コンバーターを停止させようと延ばした彼の手が止まる。
「こんなものか……」
 ファントムはそうつぶやくと手を戻した。
 ゲルググを覆う光の波が次第に大きくなっていく。その光は現場に辿り着こうと接近中のエイプリルのブリッジからも確認できていた。
「一体、何が起きてる?」
 リケンベ中佐はその光景から、あらゆる可能性を頭に思い描いていた。


 さらに強さを増していく光のフィールドが、ついにはコルベット艦をも覆っていった。
 危険を察知したサラミスは接近を中止する。
「全砲門をコルベット艦に集中させろ」
 艦長が怒鳴った。
「艦長、対ビームシールド装置の奪取がまだ……」
 副官が耳打ちしたが艦長は首を振った。
「私はニュータイプではないが"あれ"が危険なのは分かる! 命令を復唱しろ、少尉」
 強くなるフィールルドの光が周囲に集まったモビルスーツ隊を照らし出す。
 ガンダムに乗り込んだミナもその様子を見守っていた。
「ロウ……」
 光は強さを増し、やがて中のゲルググもコルベット艦も目視できなくなっていった。
 ゲルググのコクピット内でファトムはシートにもたれかかると目と静かに閉じた……

(おい、ロウ。いい娘だったぜ? ミナっていうあの連邦のパイロット)

(ああ、知ってるよ。ファントム……よく知っている)

 ロウ・モリガンの意識もファントムの意識も次第に遠のいていく。
 同時に、フィールドの光が一気に広がった!
 それが僅か数秒で収まった時、次に現れたのは爆発の炎の赤い光だった。
 その爆発の規模は小型の戦闘艦であるコルベット級とは思えない巨大なものだった。取り囲んでいたサラミス艦やモビルスーツ隊を爆発の光が照らす。
 ミナはモニター越しにその光景を見つめていた。
 そして、その目からは流れる涙は止まらなかった……。



26、出会いと別れ


「これだけの戦力を投入してこの結果とはな」
 リケンベの上官にあたる大佐は窓越しに月のクレーターを眺めながらそう言った。
「ご期待に添えなくて申し訳ありませんでした」
「ゲルググに乗り込んだらしいじゃないか?」
「はい、特別部隊のパイロットが」
「そこまでいっていながら……惜しいな」
「はっ、もう少し様々な状況を想定すべきでした」
「貴公の処遇は追って通達する」
 結局、大佐は最後までリケンベに振り向く事はなかった。
 ミナは荷物を詰めたバッグを担ぐと部屋のドアを開けた。
 廊下でるとハーネットが壁に寄りかかってい待っていた。
「足がないだろ? 送るぜ」
 いつもと同じ無愛想な表情だったが彼なりの気遣いだ。
「ありがとう」
 ミナはにこりと笑う。
「ミナ・ハンサカー」
 その声に振り向くとデイモン大尉とライス中佐が立っていた。
「本当に辞めるの?」
「ええ。いろいろ考えたんですけどそう決めました」
「残念ね、いい友達になれそうだったのに」
 ライスはミナにハグをした。
「いままでありがとう。お前のお陰で随分助かった」
 横にいたデイモン大尉がそう言った。
「でも作戦は失敗です」
「お前がいなければ友軍の被害はもっと酷かったさ」
 そう言ってデイモンは片目をつぶってみせた。
「元気でな」
「大尉も」
 出口に向って歩き始めるミナとハーネット。それを見送りながるライスとデイモンはどこか寂しげだ。
「いいコだったのに」
「ええ。あいつはいい意味にで兵士らしくなかった。俺の娘もああ育ってくれればいいな」
 ライスはその言葉に驚いた表情でデイモンの顔を見た。
「大尉、結婚してるの?」
「い、や、まあ、別れた女房との間に……女房についていっちまいましたが」
 すこししどろもどろになるデイモンをその場に置いてライスは廊下を歩き始めた。
「あ? 中佐? 中佐……レイチェルってば!」
 トゥーティ・デイモン慌ててライスの後を追った。


 車に乗り込もうとしたミナに人影が駆け寄った。
 整備兵でミナの幼馴染でもあるナッシュ・スガワだった。
「ミナ!」
 息を切らして車の傍まで走ってきたナッシュは呼吸を整えるながら車に寄りかかった。
「本当に行っちまうのかよ。今回の事はお前は悪くないぞ」
「そんな責任感どかじゃないよ。ちょっと考えたい事があったから。メールアドレスは変えないしまた連絡頂戴?」
「あのさ、ミナ」
 呼吸がまだ整わないながらもナッシュはなんとか言葉を搾り出した。
「俺も来月、軍を退役する」
「えっ? 」
「仲間と民間向けのモビルスーツの販売会社をやるんだ。アナハイム社の人間ともコネができたし、将来はオリジナルのモビルスーツの開発まで行き着くつもり」
「ナッシュは目標があってうらやましい」
「自分でも大変だとおもうけど……なんというか、うん、つまり、俺も頑張るからお前も頑張れ」
 言葉はつぎはぎだったが気持ちはミナにしっかり伝わった。
「うん、ありがとう。ナッシュ」
 ミナは自分の大事な友達に心からの礼を言った。
「行くぜ、ミナ。そろそろシャトルの発進時間が近づいてる」
 催促するハーネットにミナが頷いた。
「じゃあね、 ナッシュ」
 そう言ってミナは車に乗り込むと窓越しに手を振った。車はその場から走り出した。
「……必ず迎えに行くからな。ミナ」
 それを見送るナッシュは小さくそう呟いた。
 電気動力の車は騒音も殆んど出さずに基地施設の中を走った。
「大きなお世話かもしれないが、これからどうするんだ? 」
 バックミラーの位置を直しながらハーネットはミナに訊ねた。
「地球に降りてみようと思うの。いろいろ見てみたいし」
「そうか……悪くない」
「確かハーネットさんは地球圏出身ですよね」
「ああ、小さな漁港町だ。ちょっとガラが悪い所でね」
「それでそんなしかめっ面になったんですね」
「おまえ、真顔でそんな事言うなよ。傷つくぜ」
「ははは、冗談ですよ」
「ふふん、まあいいさ。それよりやっと笑顔が出るようになったな。少し安心した」
 ミナの顔が急に沈んだ。
「……ええ、まあいろいろと考えましたから」
「そういえばさっきの整備兵って知り合いだったよな」
「ナッシュはコロニーで暮らしていた時の幼馴染なんです」
「あいつ、お前の事が好きなんだな」
「私も好きですよ」
「そういう意味じゃないがね」
 ハーネットは飛び出してきた他の車を避ける為にハンドルを切った。冷静に最小限のハンドル操作で激しい揺れもなくスムーズなものだった。ミナは何気ない車の運転にハーネットの巧みさを感じ取っていた。
「俺も退役後は、あいつの会社に雇ってもらうかな」
「ハーネットさんも軍を離れるんですか?」
「いつかはな。だがこの特別部隊が解散した後の行き先は決まってる。テストパイロット部隊に配属される事に決まった」
 テストパイロットは最先端のモビルスーツ工学を習得し常に新型機に触れるポジションだ。その為、選抜された優秀なパイロットたちが集まる所でもある。ハーネットの配属は当然の結果だとミナは思った。
「お前はこの後何をするつもりだ? 」
「私は……」
 ミナはしばらく窓越しの景色を見た後答える。
「教師になろうと思ってます」
「教官?」
「いえ、子供たちに勉強を教える学校のです」
「ああ、先生か。ああ……ん、合ってるかもな。容易に想像できるよ」
 ハーネットそう言ってニヤリと笑った。彼の数少ない笑顔だった。
「そうか、そういうのも悪かないかもな」
「そうですね……」
 短いドライブの後、車はシャトルの発進エリアに到着した。
「それじゃ、ハーネットさん。手紙書きますから」
「よせよ、返事は書けないぜ」
「お元気で」
「お前もな」
 ミナは車から降りるとポートに向った。
「ミナ!」
 ハーネットが呼び止めた。振り向くミナ。
「お前は、俺の次に、いいパイロットだったぜ」
 そう言ってハーネットは敬礼した。
 唇を噛み締め無理の笑顔をつくるミナは敬礼を返す。

 やがて出発の時間が来た。
 ミナを乗せたシャトルがグラナダから離陸していく。
 窓越しに月の景色を見つめる。
 こんなにも荒れた地表だが地球から見る月は太陽の反射で美しく見えるらしい。クレーターだらけの地表を見る限りミナにはそれが想像できなかった。
 巨大なクレーター内に建設されたグラナダが離れていく。
 二度と来ることもないだろう。
 そしてモビルスーツに乗ることも。
 闘うことも……
 途中、シャトルのそばを訓練中のRGM-79の編隊が通り過ぎた。それを目で追うミナ。
 かつて自分が駆っていた機体と同じだ。
 そして最後に乗ったのはRX-78Fガンダム。
 宇宙世紀0080最高の機体だったとミナは思う。機体の挙動、エキサイトする発進、直撃にも耐える被弾の衝撃。何故かその全てが思い浮かんだ。そして最後の相手はMS−14ゲルググ改。宇宙世紀0079で消滅したジオン公国軍最強の機体だった。
 そしてそのパイロットはミナの大事な人間だった。
「どうしたんだい?」
 隣に座っていた若い士官が涙を流しているミナに気がつき声をかけた。
「いえ、別に。ちょっと哀しいことを思い出しちゃって」
 若い士官は笑顔を作ってみせた。
「僕はこう思うようにしてるんだ。辛かった時の中にも良い思い出ってやつが必ずあるはずなんだ。どうせ思い出すならそっちも思い出そうって」
 士官はそう言うとハンカチをミナに差し出した。
「そして辛い思いをしてる時に癒してくれるのは人の優しさかもね」
 ミナはハンカチを受け取ると涙を拭いながら笑顔を作って見せた。

 シャトルが月を離れていく。
 距離と置くと共に太陽の光に反射した月は白く輝いて見えてきた。
 歪なクレーターもその形を覆い隠されていく。
 美しい月
 その時、ミナは素直にそう感じていた。


 『漆黒のファントム』おわり





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