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13、プラン

二稿目

 目の前の信号機が赤になった。

 ジェシカはブレーキをかけ車を止める。

 ぼんやりと前を眺めるうちにミックのことが思い出されてきた。とたんに目頭が熱くなるのが分かる。

 このとき、ミックがいかに自分にとって大事な存在だったかを思い知った。大事に思っていなかったわけではない。
しかし、その気持ちは自分で思っていた以上に大きかった。

 信号機の表示が切り替わった。

 ジェシカがオートマチックのレバーをドライヴに入れようとした時だった。

「ちょっと寄り道していいかな?」 

 突然、後ろから声が聞こえる。驚いてルームミラーを見ると後部座席に誰かいた。ブロンドのショートヘアにした東洋
系の女だ。

 いつの間に?

 ジェシカは驚きと同時に恐怖を感じていた。

「お金はバッグの中よ。それをあげるから早くおりて」

「いや、そういうんじゃないんだけどなあ」

 ショートヘアの女は頭を掻きながらそう言う。口調からは強盗でも殺し屋でもなさそうだ。ジェシカは思い切って質問した。

「誰なの?」

「あらあら、雇った人間の顔を知らないんじゃだめだろ?」

 ジェシカはようやく察した。

「蒼威警備保障の人間?」

「ご名答」

「契約は解除したわ」

「そのことなんだけど再契約を頼みにきたの」

「何言ってるの?」

「契約解除……いや、ミックを手放すのは、あんたの本意じゃないと思う」

「あなたに何が分かるっていうの」

 ジェシカはヒステリックにそう言った。

「事情の全部はわからない。でも、あんた、泣いてたから」

 ジェシカは、その言葉に、はっとした。

「だろ?」

「でももう遅いわ!」

「そんなことはない。あんた次第だよ」

「う、う……ん。で、何をすればいい?」

「とりあえず話しがしたい。落ち着いて話せる場所に行ける?」

「私が泊まっているモーテルがある。そこでどう?」

「OK。いいよ」



 車は郊外のモーテルに着いた。

 駐車場に車を停めるとその隣に別の車が並ぶ。

 中から降りてきたのはショートヘアの女と似たような格好をした長身の男だった。しかもメカニカルなマスクをしてい
る。身のこなしからは普通の人と違う印象を受けた。恐らく女の仲間だろう。

「あんたがジェシカ?」

 マスクの男はジェシカの横に来るとそう言った。

「俺はデワン。車の中で失礼なことをしたのはミッシェル」

「失礼な事なんてしてないって!」

「あ? そうなのか? 俺はてっきり」

「もう! デワンのバカタレ」

 緊張感を感じない二人のやり取りにジェシカは本当にこの二人が"ザ・クラウン"の追撃を退けていたのか不思議に
思えてきた。それほど二人には殺気の様なものが感じられない。

 ジェシカは鍵を開けると部屋に入った。デワンとミッシェルの二人も後に続く。

 先に切り出したのはデワンというマスクの男のほうだった。

「ミセス・ジェシカ。あんたが蒼威警備保障との契約を解除したのは知ってる。本来なら俺達もそこで手を引くべきだ
が、どうにも納得がいかなくてね」

「あなたたちもミックの価値を知ったってわけ?」

「ミックを品物みたいに言うなよ」

 ミッシェルが怒った口調で口を挟む。

 ジェシカは驚いた。デワンというマスクの大男はまだ判らないがミッシェルという若い女はミックに親近感も持ってい
るようだったからだ。

「そうね。ミックは品物じゃない」

 そう言ってジェシカは、ほっとした様な笑顔を見せた。

 この二人は大丈夫。

 ジェシカには、なぜかそう思えた。



「こいつに必要な情報が入ってる」

 デワンは内ポケットからUSBメモリーを取り出すとジェシカに渡した。

「これは……?」

「あたしたちにはよく分からないけど、知り合いの医者が言うにはミックの欠損した遺伝子データの一部なんだって。
あんたの専門でしょ? 何かわかるんじゃない?」

「かもしれないけど、まずは見てみないと……」

 ジェシカはノートパソコンにメモリーをつなげると中身を見た。

「これ、ソールス社のデータ?」

「らしいね」

 ミッシェルは肩をすくめた。

「ランクS。一体どうやって……?」

 ジェシカは驚きながらキーボードを叩いた。

「これがあればあの子を治療できるかもしれない。姉さんは……ブレンダは、ミックの遺伝子にある薬を投与しないと
細胞の再生を止める細工をしたの。ありえない話よね」

 ジェシカはキーボードとマウスを操作し続ける。

「あの子の消された遺伝子の塩基を探るにはスーパーコンピューターを使うくらいしか方法がなかった。それも長い計
算時間を要するね。ブレンダがやったとは思っていたけど電話で連絡を受けるまで先天性なのかと思ってた」

「ペテンだったわけだ。これだから科学者ってのは」

 ミッシェルは吐き捨てるように言った。

「けれどせっかくその事実が分かって手の打ちようが判っても肝心のミックは姉さんの手の中よ」

「ミックの居場所に関して何か情報は入ってない?」

 デワンは椅子の背に手を置きながら訊ねた。

「いろいろ候補はあるけど……待って。あった。ここよ」

「それは?」

 ディスプレイにある施設が映し出された。

「表向きは社員の保養所ということになっているけど本当は重要な研究施設なの」

 デワンはディスプレイを覗き込んだ。

「高台に周囲の見晴らしもいい。ちょっとした要塞だな。この場所を設定したのはプロか?」

「いえ? 土地が安かったから」

「これだから科学者ってやつは」

 デワンはさっきのミッシェルと同じセリフで肩をすくめる。

「で、どうするの?デワン」

「そうだな……」

 腕を組むデワンの視線がジェシカの方に向けられた。

 ミッシェルもその視線に気付いた。

「え? デワン」

 デワンはジェシカを見つめると軽く指差した。

「なあ、あんた。よく見るときれいだな」

「な、何言ってるの?」

 ジェシカは突然の言葉に呆気にとられる。

「いやいや。メイクに気合入れれば、かなりの美人になる。ミッシェル。お前もそう思うだろ?」

「何よ! こんな時に、デワンってば!」

「おいおい。なに怒ってる?」

「知らない!」

 ミッシェルは機嫌が悪そうに頬を膨らませる。

「やれやれ。なあ、ジェシカ。それなりのメイクだったらあんたと姉さんと見分けがつかないんじゃないか?」

「え?」

「そういうことさ」

 ミッシェルとジェシカは顔を見合わせた。

「なーんだ」

「何が"なーんだ"だ。お前、何考えてたんだ?」

「い、いや、別になにも……」

 ミッシェルはぎこちなく目をそらした。

「うまくいけば、ブレンダ・ホールデンと偽って俺達も堂々の入場というわけだ」

「確かにいい考えね。でも急がないと……」

「そうだよ。ミックの症状もあるし」

「いえ、ミックには多分姉さんが薬を投与して安定させてると思うわ。それよりも問題は他なの」

「え?」

「ソールス社はもうすぐヨーロッパのある製薬会社に吸収合併されるの。その時の手土産がミックなのよ。重役たちが
今の地位を確保する為のね」

「ふん。気に入らない」

「ヨーロッパに連れていかれてしまったらもっと手が出せなくなる。きっと新しい会社はミックを人間の様に扱わないの
は分かってる。ミックの存在も否定するのは目に見えている。今はまだソールスだから状態も予想できる。けどその
後は……」

「モルモット……か。でも、そうはさせないぜ」

「ええ」

「さあ、さっきも言ったがこれで本当にあんた次第になった」

「何を?」

「おれたちと再契約。だろ?」

「……はい」

 デワンに促がされてジェシカも力強く頷いた。

「いいぞ。さあ、蒼威警備保障に連絡してくれ」

「そうそう、あたしたち指名でね」

 ミッシェルはそう言って片目を瞑ってみせた。







「ああ、聞いてる」

 蒼威警備保障の支部長ダフリー・ジョンソンは素っ気無く答えた。

「ジェシカ・ホールデンからの再要請でミック・ホールデンの警護及び捜索を開始する。しかも……」

 ジョンソンは受話器を片手に頭を押さえた。

「クワン・ゲド・デワンとミッシェル・ウォン両名の指名。一体、どんな魔法使ったんだ? お前達」

 電話越しにデワンはニヤリと笑っていた。

「別に何も」

 目の前のミッシェルは親指を立てた。

「おかしな事はしてないだろうな。後で訴訟にでもなったら……」

「おい、ダフリー。依頼主は俺達を指名だ。それでいいじゃないか。そうだろ?」

「俺を節穴と思うなよ。お前らが何かコソコソと動いてたのは知ってたんだ。まあいいさ。無茶はするな」

「無茶? 誰に言ってるんだ?」

 デワンはそう言うと携帯電話を切った。

 ダフリー・ジョンソンは、ため息をつくと引き出しから胃薬を引っぱりだしていた。



「どうかしら」

 隣の部屋からメイクし直し服を着替えたジェシカが出てきた。

 ジェシカの姿にデワンとミッシェルも唖然とする。その姿は姉のブレンダにそっくりだ。

「さすがに双子だね。そっくり」

「自分でも驚きだわ。あとブローをすればもっと似る気がする」

 デワンがェシカの傍に立った。あらかじめ、マスクに仕込んでいたカメラに録画していたブレンダの姿を照合していた。

「うん、いいね。あと似たようなアクセサリーを見繕えば完璧だな」

「でも私、ブレンダの様な高価なアクセサリーは持ってないわ」

「大丈夫。それはこっちで用意する」

「ブレンダは高級志向よ。綺麗に着飾ってたわ。私はいつもそれを横で眺めていただけ」

「へえ、なんでだい?」

「だってブレンダの方がきれいだもの。変よね。双子なのに」

 そう言ってジェシカは寂しげに笑う。

「そうかな? 俺にはあんたの方がきれいに見える」

「え?」

「あんたの方が美しいと思うね。見かけだけじゃなくてね。そこがブレンダと違う」

「ありがとう」

 そう言って笑うジェシカはさっきとは違う笑顔でいた。

「あなた優しいのね。デワン」

「どうかな? わからんね」

「優しいわよ。一見乱暴そうだけどね」

「乱暴なのは合ってる」

 二人は笑い合った。

 その横でミッシェルが咳払いをした。

「おふたりさん。準備が整ったら出発しましょ」

 心なしか声も震えているように聞こえる。気がついたデワンは慌ててジェシカから離れた。

「そ、そうだな。出発しよう」

 ジェシカはその様子を楽しげに見ていた。





 モーテルから出ると一台の見覚えのある車が停まっていた。

 ラスの乗っていた車だ。それがここにいるという事は相棒のロシア人が来てるという事だ。

 ミッシェルとデワンはハンドガンに手をかけた。

「おっと、待ってくれ」

 車から両手を挙げてランスキーが降りてきた。

 ミッシェルとデワンはハンドガンを構えたままランスキーを睨みつけた。

「逆恨みをするなよ。裏切ったのはあんたの相棒だったし、殺ったのは"ザ・クラウン"の連中なんだからね」

 ミッシェルはそう言いながらゆっくりと前に出た。

 ランスキーは肩を竦める。

「知ってる。奴からのメッセージが携帯の留守電に入っていた。全て聞いたよ」

 デワンは銃口を下げた。横目でそれに気付いたミッシェルだったが同じ様に銃口を下げる気にはなれなかった。

「俺にも手伝わせてくれ」

「手伝う?」

「ああ」

「お前が俺達と組むって?」

「相手は傭兵部隊だ。手強いぜ」

 デワンとミッシェルは顔を見合わせた。

「こう見えても俺はロシアではアルファ部隊に所属していたんだ。頼りになるぜ。頼むよ。ラスの仇を討ちたいんだ」

「でも、あたしに気絶させられたでしょ?」

 ランスキーは照れくさそうに頭を掻いた。

「いや、あれはその……まぐれだ」

「まぐれだって?」

 ミッシェルが眉をしかめる。

「ああ、その……まあ、なんだ」

 デワンがミッシェルの方を見ると意味が判ったのか小さく頷いた。ミッシェルの了承を受け取ったデワンはランスキー
に視線を移した。

「オーケー、分かったよ、ランスキー。手伝わせてやる」

 デワンは、そう言うとハンドガンをホルスターに収めた。

「ありがとう、デワン。後悔はさせないよ」

 ランスキーはそう言ってぎこちない笑顔をみせた。

「いいさ」

 デワンは車に向った。

「よーし! これで準備は整った! 逆襲開始だね」

 ミッシェルはそう言いながらワルサーP99の引き金部分を指でくるりと回すとホルスターに収めた。



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