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 折り合いをつける―こいつは人生において大切な心得のひとつだ。
 いらぬ争いが起きるのも、人が姿を消したくなるのも妥協点を見いだせなくなった結果だ。
 今回は、ムーンの父親。
 一体、何から逃げだしたかったのか……
「どうだった?」
 カウンター席に戻った俺にバーテンのドイルが声をかけてきた。
「人探しだった」
「"ぼれ"そうじゃないか。あの客」
 ドイルは、洗ったばかりのコップを拭きながらそう言った。
「でもあんたは、"ぼらない"よな。だろ?」
 ドイルの言葉に俺は片眉を上げた。
「それより、こいつを見てくれよ」
 俺はポケットに突っ込んであったフェンニル硬貨を一枚出した。ムーンが出した中の一枚だ。取れかかってはいるが僅かに乾いた血が付いている。
 ドイルは硬貨を受け取ると鼻を近づけて臭いを嗅いだ。
「ふーん、割と新しい血の様だが、俺に何をさせたいんだ?」
「分かってるだろ? あんたの得意な事さ」
「血を嗅ぎわけるなら吸血鬼だってか? いいさ、ツケの為ならやってやるよ」
 ドイルの冗談めいた言葉に俺は肩をすくめた。
「……さてさて、この臭いは…と」
 吸血鬼は血に対して敏感だ。バーテンをしてるドイルは特に。何しろ同じ吸血鬼向けに"血のカクテル"を作ってるくらいだからな。同じ赤い血でも何種類かあってそれぞれ味が違うそうだ。奴に言わせると"O型"の血液がどのブレンドにも合って美味いそうだが、俺は決して飲みたいとは思わない。
「ふむ……こいつはお前さんと同類の血だ。悪魔の血だよ」
「本当か?」
「ああ、間違いない」
「あの子の父親は悪魔に関わってるって事だな」
「面倒だな。それでも仕事を受けるか?」
 俺は、ドイルからフェンニル硬貨を取ると席から立った。
「こう言っちゃなんだがこれに悪魔が関わってるとしたら手を引いたほうがいいぜ」
 そう言うドイルの顔はいつになく真剣だ。
「まだ関わってると決まった訳じゃない。単に付いていた血が悪魔のだったってだけだろ」
「だからだろ?」
 ドイルは呆れ顔で洗い物に戻っていった。
 奴の言いたいことももわかる。
 何しろ俺は、自分自身に呆れてるんだから。
「もう、前金は貰っちまったしな」
 俺は、一人つぶやいた。 吸血鬼であるドイルの嗅覚が抜群だ。
 特に血に関しては最高だ。コインについていた僅かな血を嗅ぎあてた。血の主は悪魔だという。
 街には、多くの悪魔たちがいる。大きな力を持つ者は、同じような力の悪魔には必要以上に干渉しない。従って、その力の及ぶ範囲ぎりぎりの所がナワバリということになる。
 俺はコインをポケットに入れた。
 ムーンの父親の名はエウロパと言ったが、どうやら悪魔とのトラブルに巻き込まれているらしい。どちらを探すのが早いか。
 そいつは、エウロパなのか。悪魔なのか。

 一時間後、俺はムーンの住む人間のブロックに来ていた。
 容姿の違う俺の姿をたまに見つめる人間もいるがそれほど驚いてもいないようだ。ここに悪魔が出入りしているのは間違いない。通りすがりの奴にも悪魔がいやがる。姿は人間と同じだが、ちょっとしたトリックで外見は人と同じだ。
 なぜ、そんなまどろっこしい事をするのかって? その方が仕事がしやすいからだ。厳つい顔で近づくより、親近感のある顔で近づいて方がずっと受け入れられやすいんだ。
 俺は、食材を扱う露店にやってきた。
 人が生きてく上に食事をするのは必要不可欠だ。たいがいの奴は、食料のある場所には必ず顔を出しているはずだろう。
「ああ、知ってるよ。ムーンが親父が消えたって騒いでたからね。見つかったのかい?」
 愛想の良い出店の店主が食材を鍋に放り込みながらそう言った。
「いいや。今から探すところなんだ」
「そうかい。でも俺も大した事は知ってないよ」
「それでも構わないよ。どんな男だったんだ?」
「無口でここらの連中とは、ほとんど話はしない。姿を見なくなったと思ったらいつの間にか戻ってる。そんな男さ」
「姿を消す事が頻繁に?」
「そうだよ。エウロパの悪い癖だな。ムーンが小さい時から」
 店主は小皿に具を盛って差し出した。何で作ってあるかよく分らない食べ物だったが香りは悪くない。俺はそれを受取ると道端に置かれた小さなテーブルには着かずにそのまま話を続けた。
「今回が今までと違うってなんで分かるんだい?」
「なんでかって……あの娘がそう言ってるんだろ? だったらそうなんだろうさ」
「悪魔とは、つるんでなかったかい?」
「あんたみたいな?」
「もっと、悪そうな連中だよ」
 店主は笑った。
「覚えがないねえ。けど……エウロパが出入りしていた所は思い出したよ」



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